「杉山龍丸さんと大倭とモリンガの木」

大倭紫陽花邑発行の「おおやまと」9月号が届いた。

特集は、
昭和62年10月号「おおやまと」に載せた、
矢追日聖さんの「故杉山龍丸さんを追憶す。龍丸さん没後35年」という文章。
本文にも龍丸さんの業績にふれられているが、下記のような文章も残されている。
https://www.mitsubishielectric.co.jp/fa/compass/lectures/pioneers04/report.html
龍丸さんは、小説家の夢野久作さんの息子さんで、
祖父は日本で最初の右翼団体玄洋社」の立ち上げに加わった、政財界のフィクサーと言われた杉山茂丸である。
龍丸さんは、私財を投じインド緑化に奔走し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。
終始、日本政府からの援助は無く、学界からは黙殺され、国際文化福祉協会の財団法人認可申請もいまだ認められていない。
インド、パンジャブからパキスタンまでの国際道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績であるとされている。

 

仙台から静岡に避難した大沼は、静岡で矢追日聖さんの『やわらぎの黙示 ことむけやはす』と『ながそねの息吹 』を読み、
ある日私に「大倭に行きたい。案内してくれるか?」と伝えた。
途中、車のナビがおかしくなりその日のうちに大倭にはたどり着けなかったが、翌朝到着。
おおやまと出版局に挨拶に行き、杉本さんたちと話をしていたら、小柄な女性が事務所に入って来て
「浜松ナンバーだったから、なつかしくて」
その方は浜町出身の、今は大倭の中に住んでらっしゃるHさんだった。
大沼とHさんの話が弾み、そのうち、大倭と杉山龍丸さんの話になった。
矢追日聖さんと杉山さんの交流の話が、今月号の文章にある。
大沼は、静岡に帰ってから杉山龍丸さんに関する本を
むさぼるように読んだ。
本を読む余裕のない私は、大沼が話す内容を興味深く聞いた。
私にとって、大沼のそんな話を聞くのが、厳しい状況にあって
唯一の楽しみだった。


で、「おおやまと」9月号の文章である。杉山さんから矢追日聖さんに贈られた本の表紙に
<「モリンガ・オレファラ樹を植林する杉山龍丸夫妻」の円満なお顔>とある。
モリンガ・・・? パンジャブユーカリだけでなくモリンガも植えられたんだ?
ヒマラヤ山脈南方のシュワリック・レンジ(丘)の度重なる深刻な土砂崩れを解決するために、杉山氏は地盤調査をし、
砂漠地帯でも成長して、花や実が食用になるモリンガの木を植林し緑地化に成功。


なんでしょう。この不思議な縁は。
モリンガは、大沼が道新に勤めていた時代、アメリカのローカル紙にモリンガに関する記事を見つけ、
その効能について記事とした。
それを見た沖縄の方が、ぜひ沖縄にも植えたいとのことで、英文の記事のコピーを送ったことがあるという。
今、沖縄で栽培しているモリンガの木は、道新の新聞の片隅に載った小さな記事が発端である。
今、モリンガが誰かを助けているかもしれない。

 

ちなみに、大倭紫陽花邑での翌日、大沼は大倭の神霊に助けられ、頭に聞こえる声を半分にしていただいた。
あと半分は、学びのために残されたのだろう。

 

私たちの意識は網の目のようにつながっていて、世界の片隅で起きた小さな出来事が、遠くにいる誰かに影響を与えている。
そんなことを思うと、一人一人の意識の持ち方や行動は、私たちが思っている以上に大きくて、責任があるのだと思う。

「おおやまと」のデータはこちら→http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/download.htm