「杉山龍丸さんと大倭とモリンガの木」

大倭紫陽花邑発行の「おおやまと」9月号が届いた。

特集は、
昭和62年10月号「おおやまと」に載せた、
矢追日聖さんの「故杉山龍丸さんを追憶す。龍丸さん没後35年」という文章。
本文にも龍丸さんの業績にふれられているが、下記のような文章も残されている。
https://www.mitsubishielectric.co.jp/fa/compass/lectures/pioneers04/report.html
龍丸さんは、小説家の夢野久作さんの息子さんで、
祖父は日本で最初の右翼団体玄洋社」の立ち上げに加わった、政財界のフィクサーと言われた杉山茂丸である。
龍丸さんは、私財を投じインド緑化に奔走し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。
終始、日本政府からの援助は無く、学界からは黙殺され、国際文化福祉協会の財団法人認可申請もいまだ認められていない。
インド、パンジャブからパキスタンまでの国際道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績であるとされている。

 

仙台から静岡に避難した大沼は、静岡で矢追日聖さんの『やわらぎの黙示 ことむけやはす』と『ながそねの息吹 』を読み、
ある日私に「大倭に行きたい。案内してくれるか?」と伝えた。
途中、車のナビがおかしくなりその日のうちに大倭にはたどり着けなかったが、翌朝到着。
おおやまと出版局に挨拶に行き、杉本さんたちと話をしていたら、小柄な女性が事務所に入って来て
「浜松ナンバーだったから、なつかしくて」
その方は浜町出身の、今は大倭の中に住んでらっしゃるHさんだった。
大沼とHさんの話が弾み、そのうち、大倭と杉山龍丸さんの話になった。
矢追日聖さんと杉山さんの交流の話が、今月号の文章にある。
大沼は、静岡に帰ってから杉山龍丸さんに関する本を
むさぼるように読んだ。
本を読む余裕のない私は、大沼が話す内容を興味深く聞いた。
私にとって、大沼のそんな話を聞くのが、厳しい状況にあって
唯一の楽しみだった。


で、「おおやまと」9月号の文章である。杉山さんから矢追日聖さんに贈られた本の表紙に
<「モリンガ・オレファラ樹を植林する杉山龍丸夫妻」の円満なお顔>とある。
モリンガ・・・? パンジャブユーカリだけでなくモリンガも植えられたんだ?
ヒマラヤ山脈南方のシュワリック・レンジ(丘)の度重なる深刻な土砂崩れを解決するために、杉山氏は地盤調査をし、
砂漠地帯でも成長して、花や実が食用になるモリンガの木を植林し緑地化に成功。


なんでしょう。この不思議な縁は。
モリンガは、大沼が道新に勤めていた時代、アメリカのローカル紙にモリンガに関する記事を見つけ、
その効能について記事とした。
それを見た沖縄の方が、ぜひ沖縄にも植えたいとのことで、英文の記事のコピーを送ったことがあるという。
今、沖縄で栽培しているモリンガの木は、道新の新聞の片隅に載った小さな記事が発端である。
今、モリンガが誰かを助けているかもしれない。

 

ちなみに、大倭紫陽花邑での翌日、大沼は大倭の神霊に助けられ、頭に聞こえる声を半分にしていただいた。
あと半分は、学びのために残されたのだろう。

 

私たちの意識は網の目のようにつながっていて、世界の片隅で起きた小さな出来事が、遠くにいる誰かに影響を与えている。
そんなことを思うと、一人一人の意識の持ち方や行動は、私たちが思っている以上に大きくて、責任があるのだと思う。

「おおやまと」のデータはこちら→http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/download.htm

 

思いあたること 電磁波被害 集団ストーカー

◆虐めと電磁波被害、集団ストーカーは連動すると言われる。


旭川の虐め凍死事件の廣瀬爽彩さん。
行方不明という段階から、気になっていたが
やっと、学校側の責任を認めた形になった。
しかし、これまでの経過を考えると
懲戒処分というのは軽すぎるように思う。
旭川だけではない。
仙台でも、虐めから自殺という事件が起きている。
どのケースも、学校側の隠蔽体質が
問題を複雑にしていると思う。

私への電磁波加害や集団ストーカーの原因も
私の息子への虐めが端を発しているのでは?と思う。
他にも理由はあるだろうが。
虐めの原因は、部活でのレギュラーのユニフォームが誰に行くかという事だったらしい。
結局そのユニフォームは、上級生の話し合いで私の息子に渡された。
それを羨んだ同級生が、複数で息子を虐め始めた。

その事実は、だいぶ後になって明るみになる。

部活の顧問だった教師が、ひた隠しにしていたらしい。

 

◇ ◇ ◇

 

中一の夏休みが終わって、息子はお腹が痛いと言って、学校に行かなくなった。しばらくして、私に「虐められている」事実を話してくれた。その話を担任に伝えたら、担任も含めて傍に居た教師の顔色が変わった。それまでは「成育歴」のせいにされて、児童相談所に行けという態度だった。


一年過ぎた頃、まだ息子は学校に行く気力はないようだった。
私は、加害者生徒の家に行き、息子に直接謝罪してくれるように頼んだ。
虐めの首謀者である子は、率直に「ごめんなさい」と言ったが、他の二人は自分には責任がないと思ってか、ことばを濁した。

私は首謀者の母親が、私の息子と自分の息子を比べて

「もっと勉強しなさい。○○君(私の息子)は、学校に来てないのに成績が良いじゃない!あなた頑張らないとダメよ!」(休みが多いのは、虐められていたからだが)と叱咤激励しているという話を、他の母親から聞いていたので、その子も辛かったのではと想像する。

その子の竹を割ったような性格は好きだったので、

率直に謝ってくれた彼に感謝した。勇気のある子だと思った。


狭い田舎でのことなので、いじめの事実は明らかにしたが、どこのだれかは、私は誰にも話さなかった。
ユニフォームの件も、私に直接話すのはまずいと思ったお母さんが、買い物に行った店で、他のお母さんに話す形で私に聞こえるように大きな声で話してくれたからわかったことだ。
田舎は、誰と誰が繋がっているのかわからない。意外な親類関係もある。
だから、軽はずみに話をしてはならない。

しかし、その頃、同居を始めた私の母が、たまたまやって来た営業マンに、名前も含めて虐めの話をしてしまったのだ。
「お母さん、◇◇君は、ちゃんと謝罪したのよ。名前を出してはダメ」と母に伝えたが、もう話を出してしまったあとなので、手遅れ。

瞬く間に、その子の名前が地区内に広がっただろうと想像する。

◇◇君の家は、古くからその地区の有力者だ。周囲の人間は、他の家の者に対するより気を使っている。下手をすると、その地区に住めなくなる可能性があるから。
母が言ったとしても、よそからは「あそこの家の者が言った」ということになり、言い訳は効かない。
母の発言で、その子や家族が嫌な思いをしたとしたら本当に申し訳ないと思う。

長い事独身の生活をして来た母と私の家族とは、関係がうまく作れず、母は中古マンションを買い引っ越して行った。

◇ ◇ ◇


その頃からだ。ずっと家にいる私の体がおかしくなったのは。

足や手の親指が痛い。妙にこわばる。歯槽膿漏がひどくなる。朝に体に力が入らず、声を出す事も出来ない状態になる。這うようにして自分の車に乗り、鍼灸師の友人の治療院で治療を受け、何とか復帰する。同じように体に力がはいらなくなったある夜、救急医療センターで点滴を受けて、なんとか復帰。

そのような事が増えた。そして前夫の突然の発病と死。発症する前の彼の体を考えると、電磁波を浴びていたと思う。自宅だけでなく会社でも。

 

他の理由は、前夫がやっていた市民運動の一つが、政府としては気に入らなかったのかもしれないと思っている。
それと、私自身、反核がテーマの映画「ホピの預言」の仙台上映をしているから。

 

この問題に、宗教団体の方も関係していると思うが

その家族も、子どもさんが鬱になり、不幸な事になっているから

私は責めたくない。

 

被害者も加害者も

この犯罪が続く限り

本当の幸せは難しいと思う。

早く解決に向かうように、祈るばかりだ。

 

ハバナ症候群  BYカレン・スチュアート(NSA)

HAVANA症候群は、ここ数年、たびたびニュースになっている。キューバや中国の大使館に勤務していたアメリカ人外交官が受けた、主に内部障害の名称として、多くの人が覚えている。漠然としているが、非常に現実的な「指向性エネルギー兵器」(DEW)またはマイクロ波や無線周波数(RF)のような電磁波兵器の犠牲者が戻ってくると、米国の他の連邦職員とともに攻撃され、自宅に侵入されたというニュース記事の後追い記事をまばらに覚えている人はほとんどいない。 それは、外国勢力が彼らの後を追って帰国し、国土安全保障省の目を盗んで活動している可能性は極めて低いので、隠されていたのですね?

アメリカ政府は、これらの兵器がどのようなものであるか知らないふりをしようとして、怪我は「ソニッククリケット」によるものだというような軽蔑的に馬鹿げた話まで宣伝している。ニューヨーク出身の発明家ニコラ・テスラは、電磁波兵器の基本概念を生み出し、効果的かつ危険な装置をたくさん作った。1940年代に彼が亡くなると、FBIが急襲して彼の文書と発明品をすべて不法に没収した。国防総省のさまざまな組織と請負業者は、戦場規模の兵器と対人用および携帯用のさまざまな兵器を、何十年にもわたって開発してきたのである。 外国人や外国政府だけでなく、悪意を持った金持ちや犯罪者、ギャング、麻薬王などにも秘密裏にこれらの兵器を売っていたようだ。アメリカ政府は、どれだけ隠してきたかを認めたくありません。なぜなら、悪用されることを恐れるからです。彼らは全く正しかった。その通りです。

オーストラリアとカナダでは、最近(2022年)平和的なデモ参加者が、謎のエネルギー兵器のようなもので殴られ、火傷し、顔が腫れ、恐ろしい耳の痛みと目のくらむような頭痛やめまいを引き起こしたと報告しています。外交官の犠牲者が受けた怪我と全く同じではないにしても、「ハバナシンドローム」と呼ばれる神経性の脳障害と診断され、たった数分の照射で脳に永久障害を負う人も出てきています。しかし、オーストラリアやカナダの政府はこの兵器のことをすべて知っていて、開発し、敵味方関係なく使えるように軍や警察の兵器庫に入れたのに、アメリカはまったく何も知らないままだったとでもいうのだろうか?


いや、政府や軍、関連企業(MIC/軍産複合体)、政治家の不正で犯罪的な要素が、この兵器を「都合の悪い人物」に使用するよう指示し、密かに暗殺を行ったのだ。ブライトバートやスカリア、その他あまり知られていないが、不正な政治家と何らかの形で関わり、「知りすぎた」と考えられている人たちを考えてみてください。 想像以上に多くの人がこの方法で殺されている。特に内部告発者に対しては、よく使われる方法である。 実際、都合の悪い人間を抹殺するための、今では制度化された方法は以下の通りです。有力者がDHSやFBI・核融合センターのネットワークに、拷問と殺害の契約を誰かに取って欲しい旨を伝えます。FBI/核融合センターのシステムはその人物を調査し、その人物に関するばかげた偽の書類を作り上げ、加担したFISA裁判所からこっそり判を押してもらう。そして、最も近い核融合センターが、事前に訓練した民間傭兵の秘密ネットワークをその人物に24時間365日密着させて嫌がらせや脅しをし、その人物が誘発されて死ぬまで様々な秘密兵器(戦争用の毒物、ガス、DEW)を使用させるのだ。警察や地元の役人は買収されるか、「これは連邦政府のプログラムだ」と口止めされる。ゆっくり殺す殺人に積極的な地域にはガンポケットができるが、これは都合よく潜在的な共犯の目撃者も殺す。

独立を宣言しよう
不正なシステムの外側で利益を得よう 専制政治と経済崩壊から自分を守ろう。自由に生き、平和を広めることを学びましょう

 

 カレン・スチュアート(NSA

 

宮城県警と岩手県警に、被害届

◆先日、NPOの方が来仙。宮城県警岩手県警に行くというので、被害届をお願いいたしました。 

本当はもっと詳しい内容を書くつもりでいましたが、転倒・骨折・入院で

締め切り前の2日間で書き、速達でNPOに送りました。

以下、その内容です。個人名その他、伏字にした部分があります。

ご了解ください。

いつでも、警察の事情徴収に応じるつもりですが、あまり期待しない方が良いでしょうね。

 

<以下提出内容>

警察本部長殿

  被害概要説明書 添付資料被害詳細

 

            作成日 2021年11月16日

 

 

特定非営利活動法人テクノロジー犯罪被害ネットワーク会員

氏名 大沼久美子(旧姓・羽倉)

住所 宮城県大崎市鹿島台○○○○○○番地

生年月日 ○○○○○

 

 

※提出先が、岩手と宮城の警察なので、そこでの被害を中心に書きました。

 

 

1.被害の内容

 

(1)嫌がらせ・つきまとい・家宅侵入・窃盗・物品の移動と紛失と破壊。

 

(2)各種身体攻撃 目や耳や口元、顔、首筋、心臓、内臓へのピンポイント攻撃。

頭痛、腹痛、腰痛、吐き気、異常な渇き、緑内障白内障発症、動悸、血圧の上昇、

手足のしびれ、急な尿意、便意、下痢、口内炎、皮膚が異常に薄くなる。  

 

(3)声・音の送信・周囲の騒音

 

(4)盗聴・盗撮

 

(5)電化製品の異常と破壊

 

(6)使用車両にGPSが取り付けられ、車や人によるストーキングの対象になっている。

 

 

2.被害による影響(被害内容と重複します)

 

◆仙台から電磁波から逃れるために、複数回引っ越しをする。

最初は電磁波が少なくとも時間の経過と共に、電磁波が増加。

 

仙台 ⇒静岡袋井市 ⇒岡山県・吉備中央町 ⇒山形県山形市 ⇒滋賀県湖南市

 ⇒宮城県仙台市 ⇒岩手県奥州市水沢区 ⇒宮城県大崎市

7回の引っ越しをする。この引っ越し費用でかなりの経済的負担を強いられる。

 

◆パートナー・大沼安史死亡(2020年6月22日帰幽)。

奥州市水沢区〇〇○○○の自宅に対しての、

熾烈な電磁波と放射線の攻撃による極端な肝臓と腎臓の萎縮、胆管狭窄による死亡。

 

2019年12月に、羽倉が息子の転倒事故のサポートに奥州市水沢を離れ、

大沼は、1月~3月の間、単身奥州市水沢に残るが、その間強力な電磁波と放射線攻撃を受ける。

電話で安否確認をするが、声がだいぶかすれ力がない。

かなりのダメージを受け、大沼は3月29日水沢の家を脱出する。

その時、隣接する空き家から男二人の声と会談を駆け降りる音が聴こえた。

ほとんどくっつくように建っている空き家の至近距離から、

大沼は電磁波と放射線照射の被害を受けていたのだ。

 

その他、近隣一戸建ての家や他の棟、近接のアパートの端の部屋からの照射もあった。

それがわかったのは、引っ越し業者からいただいたポリエステルの布をカーテン代わりにかけていたからだ。

電磁波の来る方向(○・○棟・一戸建ての家の一階と二階)の布は、影響を受けて、

ちょっと触っただけでホロホロに崩れた。照射がない方向の布はそのようにはならなかった。

大沼は一度警察に通報している。(2018年10月頃)

3人の警察官がパトカーで来てくれた(そのうちの一人は、雰囲気から公安と思われる)。

弧を描いて陥没しているアルミ板など見てもらった。

その事があった直後、羽倉が右頬を撃たれ(アパート2Fからと思われる)

歯茎、喉、頬が腫れあがり、治癒するのに二か月以上かかった。

羽倉は

「電磁波での傷の理解が、医者にあると思わないから」

と言って、医療機関にはかからず、毎日ビワの葉の湿布(炎症止め)をした。

大沼は、警察を呼んだ事への報復が、自分ではなく羽倉の方に行ったのに責任を感じ、

それ以降警察に相談するのを断念した。

 

カーテンの現象以外に、○棟から何か来ていることがわかったのは、

羽倉がスーパーで買い物をして、その袋を左肩にかけてドアをあけたその時、

袋の中に入っていた買ったばかりのニンジンの、○棟の方向に向いている部分が黒くなっていたからだ。

確かめるために、羽倉は○棟の一階の窓辺まで行ってみた。その時、顔を照射された。

その場所から出ているのは間違いないと思った。

 

その○棟には、夫婦と保育園に行っている男児の三人家族が住んでいたが、

いつしか奥さんと子どもの姿を見ることがなくなった。

日中、誰か部屋の中にはいるらしい。

大沼が、裏側から覗いたら、覗いた瞬間男が体を隠した。

別の日に、羽倉が裏側から○棟の後ろの通路にまわったら、

ちょうどトイレに入っていたらしく、水の流れる音が聞こえた。

 

アパート二階からと○棟からの照射は、令和元年となる2019年4月からはなくなった。

その代わり、電波塔かレーダーからかと思われる電磁波が増えた。

○棟、近隣の一戸建て、そして私たちが気づかなかった空き家からの照射はあったと思う。(体感による)

○棟には、中年の女性と娘さんが暮らしていた。時々息子さんが来たり、娘さんの友人と思われる男女が遊びに来ていたが、

2019年秋ごろには、冷たそうな顔の30代後半くらいの女性が住み、母子の姿は見えなくなった。その女性は顔を見られまいと、羽倉が出かける時に家に戻って羽倉がいなくなるのを待って、家から出て来たのを大沼が目撃。それ以前に、車の中でメモを取っていた羽倉が、その女性が出かけるのを目撃。

 

近隣の一戸建てに住む○代の女性は、大崎市への引っ越しが決まった頃、

スーツ姿の男性から、現金が入っていると思われる厚手の封筒をもらっていたのを目撃。

そのあと、彼女は友人と温泉に行き、カシミヤの高級そうなセーターとオールウールのパンツをはいて満足そうな表情で玄関先を歩いていた。

この女性は、大沼が出かけるタイミングで家から出て来るということを羽倉は聞いている。羽倉の場合は、即座に挨拶するので、相手の方がたじろいでいたらしい。

畑をやっていないのに、やっていると言ったり嘘の多い人だと羽倉は認識。

引っ越し時、「大沼が死にそうだ」と彼女に伝えた時、

一瞬「いい気味だ」という表情が浮かんだのを羽倉は忘れない。

いったいどんな情報が彼女に渡っていたのか。

ネットもやらない老人が、古くからの友人の話をうのみにするのはやむを得ないと思うが

結局、その人をだましているということだ

仙台には、羽倉の息子が借りているマンションがある。

太白区〇〇 〇〇-〇〇 〇〇マンション○号)

そのマンションの上と下と横から電磁波照射をされており、

羽倉は何度か仙台南署の生活相談課に出向いたり、手紙を出したりしていたが、

情報があちら側に筒抜けらしく、具体的な被害の証拠写真を送ると、

その方法はやめて別の周波数の電磁波が来るようになった。

羽倉は、大沼が水沢から逃げて来てから、

奥州市での事や仙台の息子のマンションでのことを手紙にしたためて、

速達で南署に送ったが、すぐに「受け取り拒絶」の紙が貼られ返送された。

警察が、市民の訴えを退けたわけだ。

羽倉は「これが警察のすることか!?」と怒るが、

大沼の体の方が心配なのと引っ越しが迫っていたので、それ以上の追及はしなかった。

 

4月28日、仙台から借家として借りた大崎市の家に移るが、

その家に対する電磁波は日々増加し、水沢以上の状態となる。

奥州市からの荷物の移動(引っ越し)は、5月の連休明けに行われた。

パックも引っ越し業者に依頼、引っ越し作業の立ち合いは羽倉だけだった。

歩けなくなった大沼は、平泉の奥の温泉宿に一人残るが、

そこにも車に電磁波を出す機械を積んでやって来た人間がいた。

宿泊ではなく、温泉に入りに来た客らしい。

荷物が奥州市から大崎市に運び込まれると、電磁波はますます強くなり、

羽倉が朝に目が覚めるとふらふらになって体の力が抜けていた。

5月28日から29日にかけて、それまでの最高と思われる電磁波が来て、

黄疸が出ていた大沼は、大量の出血(下血と吐血)をし、

29日朝に救急車で大崎市民病院に運ばれる。

 

大沼の病変(黄疸、肝臓と腎臓の極端な萎縮。三カ所に及ぶ胆管狭窄。急性出血性胃潰瘍

を診察した大崎市民病院の〇〇〇医師は

「こんな患者はみたことがない」と驚愕したが、

電磁波過敏症の患者に初めて出会ったという話で、

電磁波の攻撃による病変とは判断が出来なかった。

大崎市民病院・〇〇医師は、大沼の黄疸の様子を診て、

「肝硬変」だけでは説明できないとして他の医師(〇〇○・○)に相談するが

どの医師も首をかしげる状態。(カルテの記述による)

どの医師も、誠実な人間的な方だった。できるだけのことをしてくださった。

ただ、肝臓・腎臓・胆管の問題だけでなく、

心臓もかなり弱っているので、いつ亡くなってもおかしくないと言われた。

胆管狭窄も三カ所に及ぶので、カテーテルでの手術は無理と伝えられた。

 

大崎市民病院ではMRIの検査(6/2検査)をしたが、

「機械の調子が悪い」と言う放射線課・技師(〇〇氏)の話で、

長時間二度もMRIの機械で照射されだいぶ苦しかったらしく、

弱音を口にしない大沼が「具合悪い」と言った。

電磁波過敏症患者にMRIはタブーである。

その検査の後に○○○医師に、そのことを伝えた。

6月8日にもエックス線の検査があり(○○技師)、大沼の話だと非常に手際が悪く

「先日の検査時より、気持ちが悪くなった」と言う。

弱っている人間に短期間に二度も検査するというのも、疑問を持つ。

 

大崎市民病院に入院中、気になることがあった。

6月4日のことだ。背の高い他の病棟の看護婦が(それまで見たことのない人)が、

病室のドアを開け、羽倉の顔を確認し「間違いました」と言い、ドアを閉めた。

間違って戸惑うと言う感じではなかった。

病室の入り口には、名前を表示しないように頼んだので、直接顔を確認しに来たと思われる。

翌日6月5日から、検査入院や診察で来る患者が増えた。

駐車場はこれまでになく満車。同時に電波も増えた。

 

6月6日夜間、上階から刺すような電波が来た。

日中は、胃腸が痛み下痢を起こす電波が来た。

病院の建物から出ると、感じなくなる。

 

6月7日夜は、この病院に入院して最高ランクかと思われる電磁波が来た。体中が痛い。

気持ちが悪いのでもしやと思い、ガイガーカウンターで計測したら

0.33マイクロシーベルトを記録した。放射線も使っている?

大沼が「寒い」と言うので、羽倉は自分がかけていたシェラフや電磁波を遮断する布を大沼にかけた。

大沼は何度も布団をはだけるので、かけ直した。苦しいのだろう。

羽倉はかけるものがなくなったので、寒くて眠れなくなりそのまま朝を迎えた。

 

6月8日 周囲の入院患者をチェックする。

隣の個室は○○という60~70代の男性。ひつ尿科で入院しているが自分でひげを剃り、足取りも軽い。

真上は名前の表示がなかったので入っているのかどうかもわからない。

その隣は、○○とあって上に「リ○○」と書いてあった。韓国人のようだ。

午後になって検査入院の人がだいぶいなくなって、電磁波も弱くなった。

駐車場は相も変わらず満車で、二階コンビニ横の休憩室は、人でいっぱいだった。

こんなにたくさんの人を見るのは、入院してから初めてだ。

 

6月9日 大沼は、朝食はいらないと言う。

羽倉が、代わりにおかゆを少しとひじきの煮物を食べたが、おかゆが妙に苦かった。

また11時~11時45分の胃腸がおかしくなる電波が来た。

羽倉のお腹が痛くなりお手洗いに行くが、下痢と言うほどではなく

腸がよじれて無理やり便を出したと言う感じだった。便が細い。

原因が妙に苦かったおかゆなのか、電波なのかわからない。

大沼は何も食べていないが、お腹に痛みはなかったのだろうか。

 

6月10日 大沼の体温36.9度  血圧100~64 低めだ。

午前10時少し前から電磁波が強い。病院の駐車場は相変わらず満車だ。

午前11時頃から電波の周波数が変わったのか増えたのか、羽倉の胃腸が強烈に痛くなった。

昨日より強い。お手洗いに行ったら下痢だった。

今日は大沼に出された朝食は、大沼も羽倉も口にしていない。

病院の外に出たら、楽になった。

 

6月11日 大崎市民病院から鹿島台病院へ転院。

転院した当日の、鹿島台駅周辺の電波は、これまでにないほど強かった。

羽倉は、頭がふらふらになりながら、付き添いのための簡易ベッドや布団の手配をした。

 

羽倉の携帯に着信履歴があり、翌日、それを大沼に見せたら相手がわかったらしく折り返し電話をした。

電話が終わって、大沼が言うにその電話番号の主とは声が違っていたそうだ。

一緒に教育関係のNPOをしていた方で、羽倉も大沼から何度か聞いているのでその名前は覚えている。

NPOについて具体的な話題を振ったら、全く答えられず相手の慌てる様子が伝わって来たという。

大沼の様子を聞こうとしたのだろう。

羽倉がその電話に出たら、声を知らないのでてっきりその人だろうと思い、

状況を話してしまったかもしれない。

 

6月22日に大沼が体を離れるまで、いろいろあったが、気になったことだけ書いておく。

 

6月12日夕方、だいぶ陽が落ちて暗くなってから、病院のそばの薬局にスポーツカータイプの赤い車が来た。

その車に乗っていた男性は、四角の箱を持って薬局の二階に入って行った。

しばらく二階の電気がついていたが、電気が消え車が去ったら電磁波が増えた。電磁波が出る機械をセットしたらしい。

 

6月15日、転院した鹿島台病院に提出する保証人の書類に、大沼の弟さんがサインをしてくださる話になっていた。

羽倉は、ナースステーションにいた婦長さんにその旨を伝え、自宅に来ると言う弟さんに会うために病室を離れた。

病院の玄関前で弟さんご夫婦に会う。

弟さん夫婦は面会できないかと受付で交渉したが、事前に医師の許可を取ってくれと言われたと言う。

病院では、書類を広げる場所がないので、すぐそばにある鹿島台支所の休憩エリアにテーブルがあるので、そこへ行く。

書類を書いてもらい、そのあと、医師から伝えられた内容を弟さんご夫婦に説明した。

にわかに信じられないようで、羽倉の話を正確に受け取ったかどうかわからない。

羽倉が病院へ帰ると、病室をあけたあとに看護師がやって来て大沼に聞いたそうだ。

「奥さん、何処に行ったの?」

羽倉は、婦長さんに伝えたしナースステーションに誰もいない時には、行き先を受付の女性に伝えていた。

一度たりとも黙って病院を出たことはなかった。

「保証人になってくれる人が来るので、書類を書いてもらいに行った」

と大沼が答えたら

「嘘!信じられない!!」

と看護師が言ったそうだ。

(いや、嘘ついて何処に行こうっていうの?こんな田舎で、

売店もない病院で、行く場所限られているだろう? )

羽倉は激怒した。

そしてその看護婦が消えた後、5人の看護師がやって来て大沼にお小水の管を入れて行ったが、

若い看護師が先輩看護師のやりかたを見て

「ひどい・・・」

と絶句していたそうだ。よほど乱暴だったらしい。

 

(ここの看護師は、病人に対しての配慮がない)

羽倉の怒りは頂点に達し、ナースステーションに行った。

誰がそんなことを言ったのか聞いても答えないだろう。

冷静に婦長さんに断って病院を出たことを伝え、

「病人に余計な質問をするな」

と伝えた。(亡くなる一週間前の出来事だ)

そして

「なにかあったら、私に聞いてほしい」

と伝えた。

その夜は、入れられた管が痛いと大沼が言ったので、

翌日医師に直接伝えて、管を外してもらった。

 

6月19日午前、大沼の弟さん夫婦が医師の許可を取り、病院へ来る。

この時には大沼は目がとろんとなって言葉を発しなくなった。

弟さん夫婦が、病状について医師から説明を聞く。15日に羽倉が伝えた事と同じ内容だった。

弟さんは肝移植できないかと医師に聞いたが、医師は手術に耐える体力がないと伝えた。

その内容を、傍に居た○○看護師がメモを取っていた。

カルテに既に書かれていることなのに?と羽倉は不思議に思った。

その日の午後から、それまで渋滞する程鹿島台の道路を走っていた車が激減した。

道路はガラガラ。大沼がもう助からないと言う情報が行ったかららしい。

 

薬局に置いてあった機械も外されたらしい。18時40分頃、箱に入った何かを女が持ち出すのを見た。そのことがあってから、電磁波が減った。

 

6月22日帰幽。

遺体を安置する場所がないので、すぐに移動してくれと医師の指示があった。

あとで考えると、なぜ「解剖にまわしますか?」と言ってくれなかったのだろうと思う。

仙台の病院で母が亡くなった時に(同年9月)、医師から聞かれた。

今はどんな患者のケースでも遺族に聞くようになっているそうなのだ。

その病院で出来ない場合は、他の場所に移送するそうなのだ。

 

弟さんの頭はショートした。

悲しみの原因となる大沼の遺体を見たくなかったらしい。

翌日火葬で告別式と決めて、いったん自宅に帰られた。

気持ちはすごくわかる。

羽倉も前夫の時に、

彼を思い出す全てのものを消し去りたい気持ちだったから。

 

 

奥州市・水沢での大沼と私に対する身体攻撃は激しかった。

特に令和になってからは、容赦がなかった。

死ぬかもしれないと、何度思った事だろう。

大沼が寝ていて、突然痙攣を起こしたことがあった。電磁波を使った脅しだったと思う。

羽倉も、深夜突然吐き気が襲って、大沼の前で吐いたらだめだと思い、風呂場に駆け込んだ。

吐くものがなくて、痙攣している胃から胃液だけが逆流した。胃液が喉を焼いた。

突然の猛烈な頭痛、腎臓や肝臓、心臓の痛み。痛みそのものがストレスだった。

大沼が、電磁波であらゆる症状を引き起こせると言っていたが、それを私たちは体験した。

 

大沼が亡くなって、9月に入り羽倉の母が亡くなった。大沼と母の様々な手続きをするために大崎市と仙台の往復を何度もした。

大崎市の家も、周囲で何かの工事がある度、電磁波の量が増えた。

〇〇さんの納屋前で、写真を撮ろうとしたらシャッターがおりなかった。

電磁波の多い場所では、そのような現象が起きる。どこかそのあたりに照射源があるようだ。

 

2021年になって、電線を張り替える工事が行われた。その工事について問い合わせの電話をしたら、担当者の男性は電磁波に詳しいらしかった。何か苦情めいた事があっても、その苦情を言った人間が相手にされない事を知っていた。

その工事のあと、郵便箱の前に立つと後ろから電磁波が来て、頭や首、腰がやられた。

電線に取り付けられている黒いボックスが増えていた。どうもその中に電磁波を出す機械が入っているらしい。

 

毎日の猛烈な電磁波のせいで、視力が落ちた。隣の〇〇さんも、急激に目が悪くなったと言う。

 

◆2020年11月に、息子が母のマンションに引っ越した。(太白区○○○)

上の部屋と下の部屋に挨拶に行った。上の部屋〇〇さん宅では、高校生の息子さんが出て来たと言う。その頃は、〇〇さん宅のベランダに洗濯物が干してあった。

年明けた頃から、洗濯物を見なくなった。

 

下の部屋は、〇〇さんで息子さんと母親の二人暮らし。

大沼と2018年に一か月近く母のマンションにいたが、

上野さん宅から息子さんではない長身の痩せた男性が、朝に出て来た。

羽倉は息子さんかと思い、挨拶をしたが、一言も返事がなかった。

下の部屋からの照射が厳しく、この場所には長くいられないと思った。

この話は、南署への手紙に中でふれている。

改めて、上野さん親子の顔を拝見して、朝に出て来たのは息子ではなかったのを確認。

上野さんは、2018年当時は西○○の方に本宅があり、そこで暮らしていたらしい。

 

◆2021年3月20日、羽倉に「ここに一人でいるな」とメッセージが来たので、

だいぶ暗くなってはいたが

仙台の息子の所に行くことにした。そのあと18時9分地震

地震の後片付けをして、鹿島台の家を出た。

 

3月22日、茂庭台マンションのリビングだけ、地震が起きる。

その前に、上の部屋の足音が大きく、和室から何か機械を出してセットしている様子がうかがえた。

その後に揺れた。猫がびっくりして、暴れていた。

上の部屋に行き、チャイムを鳴らしたが足音はするのに誰も出てこない。

居留守を決め込んでいるようだ。○○さんではないようだ。

管理センターに相談するが、埒が明かない。

 

3月23日、過去の事があるので南署の生活相談課に手紙を出した。

 

3月24日、25日は、鹿島台で用事があったので帰る。

 

3月26日27日28日29日30日、電波が激しい。上の部屋の足音も激しい。足音から小柄な人間と想像する。

私が部屋に入ると、足早に奥の部屋から出て来て、機械のスィッチを入れている様子。

 

3月31日 寝ている間に左耳の穴をねらわれ、激痛。耳から水のようなものが大量に出る。

耳からの水は止まらない。以前耳鼻科からもらっていた薬を入れるが改善せず。

午前中、物陰に隠れて上の部屋から誰が出て来るのか確認。

階段を下りて出て来たのは、以前息子が住んでいた○○マンションの上の階○号室に住んでいた、○○さん(に非常に似ていた)。二人が出て行き、その後戻っては来ない。

 

4月1日 上の部屋で足音がするが、31日まで居た人間とは違う。

 

4月2日 用事があったので鹿島台に帰る。いろいろ用事を済ませたあと仮眠して夜中に仙台に向かう。

 

4月3日 AM1時10分に、○○マンションに着く。

その前、県道を走っている時に、後ろから車が来たので先に行ってもらおうと途中の空き地に車を停めると

その車も距離を置いて停まる。もしかしてストーカー車?と思い、

対向車線にあるラーメン屋さんのパーキングに車を入れたら

その車もパーキングに車を入れて来た。

他に車は走っていないので、大急ぎでダイヤシティの管理会社の駐車場まで走ったら

その車は追いかけて来て、駐車場を一周して出て行った。

「な ○○-43」というナンバーが見えた。

 

4月6日 耳の状態が思わしくなく耳が聞こえないので、午前は日赤、午後は西多賀の耳鼻科に行く。

西多賀の先生の方が丁寧だったので、日赤の方は断る。以前いた医師は大崎市民病院に移ったそうだ。

西多賀の医師によると、鼓膜に穴があいているとのこと。後日、診断書を書いてもらう。

 

4月から5月にかけて、上の階には複数の人間(男・女)が出入りしているようで、毎日足音が違った。

寒くもないのに、キャップを深くかぶりコートを着込んだ男や、

小太りのだらしない感じの女性が出て来て、迎えに来た車に乗って行くのを見た。

何度も物陰に隠れて見張るということはできないので、無視することに決めた。

上の階の7隣の方が、「〇〇さんの娘さん」と認識している女性は小柄な方で、

私も一度だけ出て来るところで出くわしたことがある。

2018年に私が挨拶に行った時に出て来た大柄な娘さんとは違う方。

お部屋をその小柄な方に貸しているのか、大柄な方の妹さんなのかは知らない。

ただ、COOPの注文書には〇〇で名前が載っているので、係累かもしれない。

 

7月11日、大崎市に行き泊まらず日帰りで仙台に帰る。

高速道路で、私の車に距離を縮めて近づいて来た車一台。「宮503 ふ○1―○1」

そのあと、腰が痛い。

 

7月12日深夜13日にかけて、電磁波が強く、腰の痛みが半端ない。のたうち回る痛みだったが長くは続かなかった。

 

7月13日、お昼頃に腰の痛みに耐えながら、郵便局とスーパーで用事を済ませた。

少しでも歩こうと道路側の方のマンションの敷地を抜け、

階段を上がってきたら、私と同じ階段からキャリーのついた大きなスーツケースをひいた男性が降りて来た。

その男性は周囲をきょろきょろと見まわして、人の目を気にしていた。

不審な感じがしたので、その男性のあとをついて行った。

男性は、駐車場に停めてある白い車に、そのスーツケースを乗せた。

私はその車の前を通り過ぎて、道路の方に向かって歩いた。

車が置いてあった場所は、いつもは緑の車が停めてある場所で、

管理センターで、貸し出すフリーの場所ではない。

不思議だったのが、その場所に停めたら普通は右折してそのまま道路に出て行く。

しかし、その男性は左折して高い位置にある駐車場をぐるっと回る形で、出て行った。

誰かに(その時は、私に)見られたくなかったのだろう。

40代後半から50代の男性。

「る 9○-○○」というナンバーをちらりと見た。軽自動車ではなく普通車。

昨日、のたうちまわった後だから、その男性の挙動が気になった。

それから、上の部屋には、自動で動く機器がつけられたみたいで、

たまにしか足音がしない。

 

2021年10月31日に、仙台市内で転倒し、膝骨折。

退院するまでのことは、「入院中の事」というプリントを参照してください。

その文章をネットで出したあと、マンションの部屋の放射能値が高くなりました。

0.46マイクロシーベルトでしたが、写真には撮っていないです。

夜中に体が熱くて吐き気がして、目が覚めました。

連日、日中も上の部屋には人がいるようです。

 

 

◆〇〇 〇〇(息子)

母親である羽倉久美子の被害に伴って、とばっちりを受けている可能性がある。

 

仙台市太白区○○二丁目1○-〇 〇〇ハイツ 〇〇号室に居住時に、

母親が静岡から荷物の整理やその他の用事で帰仙した際、

階下○○号室に電磁波照射機械がセットされ、照射されている。

母親が静岡に帰ってからも、道路を挟んで向かい側の新築マンショ○ンの6F付近から

電磁波照射され、体の半分に火傷のような傷を負った。

その後、その建てたばっかりのマンションから犯人らしき人間が引っ越して行ったのを目撃。

 

〇そのあと、太白区○○○ ○○-〇〇 〇〇マンションに引っ越し、

階上の○○宅から何度も水が流れて来たり、大きな音をたてられたりした。

猫がしょっちゅう様々な場所にマーキングをするようになった。

○○に居住していた時は、そのような行為はしなかった。

羽倉久美子が観察するに、猫は自分の縄張りに入って来る電波への抗議として

マーキングをしていたように思う。

 

〇祖母が亡くなり、祖母のマンションに引っ越したあと、

上の部屋から胃や腹部を狙って電磁波で撃たれた。

 

 

◆羽倉・大沼久美子は、

口元の攻撃から、歯槽膿漏悪化し抜歯。

耳への攻撃で左耳鼓膜破れ、難聴。(2021年3月31日仙台・母のマンションにて。前述)

 

医療機関に何度もかかる。

 

◆電化製品の異常と破壊(パソコン・電気釜・CDデッキ・精米機・時計・電気ポット・電気ストーブ・プリンター買い替え)

 

◆顔写真撮られ、宗教団体他に写真を拡散されている。

私(大沼久美子)の顔を確認して、睨みつける者多数。不愉快。

どこに行っても、顔写真(手配写真?)が回っているので、

引っ越してもすぐに電磁波機器や放射線が出る機器が近隣に取り付けられる。

 

◆私と大沼しか知らないことをほのめかしする。

 

◆鍵をかけていても、家宅侵入され、仕事の道具、書籍、時計、思い出のある帽子、

携帯電話やカメラの充電器、家族写真、羽倉・大沼久美子前夫写真、

友人からの贈り物、形見の品、指輪の鑑定書など盗難。

アクセサリーの鎖を何重にも結び外せなくしたり、はめ込んである石やビーズを外していく。

靴の縫い目をカッターで切っていく。傘や服にカッターで傷つけたり、部品を外していく。

警察に届けにくい、それでいて私達にとって思い出や愛着のある、この世で唯一の物を盗っていくようだ。

奥州市の借家では補助キーをつけたが、力いっぱい開けたのか補助キーが曲がっていた。

 

◆静岡~奥州市では、浜松の中古車を扱う会社・○○自動車から日産エクストレイルを購入。

この車にはGPSがつけられ、何度も車でのストーキングにあっている。

疲労感が出る電磁波や放射線(ガイガー反応)を照射されたようす。

2020年1月末にエクストレイルからホンダ・ゼクトに買い換え。

仙台市内の○○○の中古車販売会社(○○○宮城)で購入。

この段階では、大沼はまだ生存していた。

車を引き渡された直後から、ストーキング被害が始まる。

販売会社の技術の人間が、すぐには見つからない場所に取りつけたのでは?と推測。

エンジンをかけたとたん、ストーカー車が増える。

バッテリーには複数の銅線がつなげられているが、

束ねられているのと本数が多いため、どこへつながっているのか確認できていない。たぶん、集音マイクもつなげられていると推測、(エクストレイルの時に、社内での会話が盗られているとしか考えられない出来事が複数回あった。車で行った先々で、私(大沼久美子)の顔を確認する人間が現れた。

エクストレイル時代と違うのは、疲労感が出る電磁波以外に、首筋に火傷あとができたり、待ち伏せされ、後ろから強力な何かを撃ち込まれたらしく、数回、腰痛・腹痛・下痢を起こした。心臓や肝臓、腎臓部分も狙ってくるようだ。車を貫通し、体も貫通するもの。大沼死後、車でのストーキングが増え、内容も悪質化している。

 

 

3.被害発生年月日

嫌がらせを受けていることを自覚したのは、2012年頃から(大沼安史)。パソコンの不調、体調不調。その頃羽倉久美子の方も同じようにパソコンの不調と風邪を引きやすくなったり、心臓がバクバクしたり、体調の不調が目立つようになった。原発事故の影響かと思っていたが、事故からだいぶ経過して、羽倉宅のお風呂の通信系が壊れ、着火しなくなった。電磁波の影響と思われる。

2013年初め、大沼に「声」が聞こえるようになり、マンションの階上から女性の声で「助けて」と聞こえる。大沼から「警察に通報するか」と相談されるが、羽倉は、統合失調症と言われ精神病院に入院したが、それは霊的な開花だった人間を二人知っているので、大沼の警察通報はやめさせた。大沼を大切にしたいと思った。それからいろいろ起き始めた。二人とも「電波では?」と気づいた。

 

しかし、思い起こすと以前から被害にあっていたのでは?と思う。

大沼は、長津田に住んでいた頃、鉄パイプを部屋に投げ込まれ窓際のガラス戸がめちゃめちゃになっていた事がある。

都内を歩いていて、突然歩けなくなった経験もある。

羽倉は、自宅で突然体を起こせなくなり、朝食を家族に作れなかったことがあった。何度か同じような状態になり、救急医療センターで点滴を受けたり、友人の鍼灸師の所で治療を受けた。2000年頃の話だ。

  

 

4.被害発生場所

 

<割愛>

 

5.加害者

 

私達がこれだけ広範囲に動いて、加害者がどこにでも現れるということは

組織的な犯罪だという事だ。

 

岩手では、同じ敷地にある他の棟に入り込んできた方々。近隣の一戸建ての住民、

アパートに出入りする人達。やくざ。

○○ガスの職員が脅しのために、近隣に車を駐車し、近所の方の車にこすられたこともあった。

 

仙台では、集合住宅の階上や階下、隣に住む住民など。

道路を挟んで、向かい側のマンションから電磁波(?)が撃たれ、

火傷のような傷ができた。(前述)

 

 

6、加害の目的

 

大沼安史の場合は、原発事故をテーマにした著書の執筆活動の中止が目的。

 

羽倉久美子の場合は、○○にいた時から嫌がらせが始まっていたとすると、

個人的な嫉妬なども考えられる。

当時夫だった羽倉正人が、東チモールの支援やタイの村おこしのボランティア活動で

ローカル紙に記事が載った事や、地元でのイベントに、ポスターなどの制作で協力していた羽倉久美子の活動や、いじめで不登校だった次男が自力で復活し、そのあとトップの成績をおさめるなどしていたことが、個人的な嫉妬に結び付いた可能性もある。田舎の狭い地区特有の問題。

ただ、羽倉久美子も反核・反原発映画でもある「ホピの預言」の仙台上映で名前が知られていたので、大沼と同じく、反原発活動をしている活動家や科学者、歌手などを狙う組織に目をつけらていた可能性もある。反原発の活動家は、早死にする人が多い。

大沼への嫌がらせを最初からつぶさに見て来た、生き証人でもあるので

口封じで大沼死後も嫌がらせが続いているのではないかとも思われる。

 

 

7、被害への対応結果

 

電波管理局や警察に何度も足を運ぶが、積極的に捜査に動いて私たちの被害が軽くなったという例は、宮城ではなかった。

 

静岡では、袋井市の交番で、高周波の電磁波が検出された写真が県警のほうにあげられ、高周波の被害はなくなったが

そのあとエックス線かなにかわからないが、放射線が検出されるようになった。

 

滋賀では、交番に大沼が証拠写真を持って、相談に行った。

私達が、不在の時に、近隣の照射源と思われる家に聞き込みを行ってくれ、

そのあと照射源だった家のひとつが機械をはずした形跡があった。

 

仙台では、相談の手紙が受け取り拒絶されるという事が起きている。

毎日の被害の中で、必死の思いで書いた手紙です。

警察がもっと積極的に捜査してくだされば、大沼は死ぬことはなかったかもしれません。

 

 

8、準拠されるべき法

 

この部分は、専門の方にお聞きしたいです。

個人の写真が、指名手配写真のように組織に出回っているというのは、

どのような罪になるのでしょうか。

肖像権や人権侵害?

 

 

9、添付書類

 

この書類と、もうひとつ「入院中のできごと」

 

 

2013年の大沼の文章 

◆2013年初めからの事

あらためて、文章を読み直し

その頃の大沼の切迫感と恐怖が伝わって来るようだ。

私も、しばらく何が起きているのかわからず、怖いだけ怖い・・・のような状態だった。とりあえず、記録としてここに記しておく。

 

ueuchi.blogspot.com

 

突然の入院といろいろの出来事

31日から11月11日まで12日間更新をしなかったので
御心配をおかけいたしました。
転倒して、膝骨折です。
電磁波によるものではなく、私のミスです。
店舗の駐車場にかけられていた鎖に
足を取られました。
つかむものもなく、
そのままコンクリートの地面に転倒。
これまでも、派手に転んだことはあったので
今回も大丈夫かと思い、
本来の目的である場所に移動しようと、歩き出しました。

仙台の定禅寺通りで、植え込みと街路樹に囲まれた彫刻のある道です。
で、途中でベンチでしばらく休み
立ち上がろうとしたら、歩けませんでした。
しばらく悩んだのですが、携帯電話で119番して救急車をお願いしました。
運ばれた病院は、中心地にある外科の救急病院。
市内での交通事故や建築現場での事故の負傷者は、
ほとんどその病院に運ばれるそうです。
そこで10月31日から11月11日までお世話になりました。
電磁波被害者が医療施設で嫌がらせにあう話は
よく聞く話ですが、病院スタッフからの嫌がらせはなかったです。
看護婦さんも他のスタッフも、皆明るくて親切でした。
院長先生も、臨機応変に対応する姿は
さすが救急医療を長い事なさって来た方と感心しました。

もしかして、上の部屋から電波?ということがあったかもしれませんが
問題にするほどの事ではなかったと思います。

攻撃的な電磁波はありました。
女性だけの相部屋でした。6人部屋に4名の女性が入院していて、そこに私が加わりました。
一人はすぐに退院して行きました。
隣は男性の6人部屋。この中にちょっと気になる若い男性がいましたが。

私のベッドの枕と上半身部分に強い電磁波があって、
頭が針で刺されるような痛みと体が電気でぶるぶる震えて
ベッドの上でのたうち回っていました。
それは午前中のある時間だけなのですが。

夜の8時半頃、金属的な電磁波で咳き込みが激しく、目が覚めてしまったことも。
夜中は膝を狙っての電磁波があって、朝に起きたら
DEWのあとが両膝にできていて、入院した直後より痛みが増加。
腰もやられたらしく、骨盤の両端が特に痛かった。

ほとんど、電波塔から?と建物全体にかぶるような電波でしたが
枕部分と膝に来たものは、レーダー?衛星?近接? よくわかりません。

日曜日から個室があいたので、そこに移りました。
夜中にのたうち回っているので、隣のベッドの方に迷惑をかけると思ったからです。
移ってからは、枕周辺の電磁波や体がぶるぶる震えるほどのもの、
そして膝を傷つけるもの、咳き込むものはほとんどなくなりました。
電磁波で傷がつくと、そこに電磁波をあてると痛みますが
そのような周波数の電波は来ました。
街中だからなのか、全体的に電磁波はきつかったです。

私が入院した後に、入って来た83歳の女性は変でした。
話を聞くと、自宅が仙台市内にあるのに、
ビジネスホテルに泊まっているとおっしゃる。
腰が気持ち悪いとおっしゃるのだが、痛いのではないようだ。
ホテルに置いてある荷物を取りに行く姿も、返ってきた姿も
どこも悪くないのじゃないか?と思われる歩き方。
夜中にトイレに行くのも、すたすたと歩いている。
同室の患者さん、皆首をひねっていました。
皆にそのように思われているのを察知したのか、
突然前かがみに腰を曲げて、廊下の手すりを伝うように歩いていました。

彼女が持っていた携帯電話は、あるグループの方が持っていたものと同じでした。
私はそれと同じものを、2013年に仙台のBホテルと静岡のバスの中で見たことがあります。
彼女は、その携帯電話を隣のベッドの女性に見せて
「いろいろな機能がついている」と自慢していました。
夜に咳き込んだ時は、彼女のベッドの方向を防護しましたら、咳が止まりました。
日中、耳が塞がって会話もしにくくなるような状態の時もありました。
その電波は、何回か経験しています。私や大沼が、誰かと会う時に
前もって場所と時間を相手と決めた時に、その電波がその約束の場所に充満しました。
それと同じものでした。

退院する前日の午後は、入院してからそれ以上の電波はないだろうと思うほどの
濃密な電波が来ましたが、その時間は「大日月地神示」を声を出して朗読。
病院の何処に行っても感じたので、電波塔からと思われます。
夜は、電波はゼロではなかったけれどだいぶ静かになりました。

11日午前中に退院。院長先生が外来に出る前に来て下さり、
これからのことを話して行かれました。
帰りに自然食品店に寄ったのですが、そこに私のあとから二人の客が入りました。
男と女でした。
すごくやせこけた30代後半と思われる男性は、
箱に入ったものを購入し、領収書をもらっていました。
そのあと入り口に置いてあるピープルトリーのチョコレートを三つ手に取り、
レジに行くのかと横目で見てたら、
そのまま出て行かれたのでお店の人に知らせましたが
もう姿はありませんでした。
ちょっと嫌なものを見てしまったなあ・・・と息子に話しましたが。

部屋の掃除をしたり、猫を抱いたり
膝はまだ治りませんが
以前と同じような生活がまた始まり
ちょっとだけ違うのは
入院中にRシュタイナーの本を読了し
少し解ったことがありました。
この件はまたの機会。